阪神文学史年表の作成に当たって

 阪神間は日本文学史の中で重要な位置をしめる所です。多くの文学者が住み、様々な作品の舞台にもなっています。謡曲『満仲』や井上靖『猟銃』など海外に紹介された作品も多く、個性的な文学ミュージアムも少なくありません。ただ、「阪神文学」を全体的に捉える視点は従来あまりなかったようです。この阪神文学史年表により、谷崎潤一郎や遠藤周作の作品をはじめ、海外にも紹介されている私たちの市民文学の存在意義を再認識していただければ幸いです。
※この年表は、兵庫県阪神県民局が平成13年に作成した年表を加筆、修正してWebページ化したものです。




時代区分  文学上の出来事  社会の動き
 
古代
神功皇后9年 神功皇后、新羅征討のため九州へ向かう際、川辺郡神前の松原(尼崎市神崎)で諸神を祭る(『摂津国風土記(逸文)』)。神託により天照大神の荒魂を広田社に祭る。(『日本書紀』巻第9)
舒明天皇3年(631) 舒明天皇、孝徳天皇、有馬の湯行幸。(『日本書記』巻第23、第25)
大化3年(647) 『摂津国風土記(逸文)』に、有馬温泉・美奴賣松原・御前の濱(広田社前の海浜)・武庫の記事が見える。
  『万葉集』に「猪名の笹原」「猪名野」「猪名の浦廻」「猪名川」「猪名山」「猪名の湊」「津努(津門)の松原」「名次山」「乙女塚」「有馬山」「敏馬の崎」「武庫の浦」「武庫の海」「武庫河」「武庫のわたり」などが詠まれる。
  万葉歌人、高橋虫麻呂、菟原(うない)処女伝説を読む。後、田辺福麻呂、大伴家持も作歌。
わが国初の観音霊場、中山寺開基(587頃)
孝徳天皇の難波遷都、インドから渡来した法道仙人が摩耶山に天上寺をひらく(646)
法道仙人が花山院を建立(651)
平城遷都(710)
満願寺建立(728)
行基が昆陽寺を建立(733)
『万葉集』で姫島を詠んだ「妹が名は千代に流れむ姫島の子松が末に苔むすまでに」に「君が代」ルーツ説がある
中古
菟原処女伝説が生田川を舞台とする生田処女の物語となる。
  『伊勢物語』(第87段)で主人公の男、摂津国菟原郡芦屋の里に行って住む。
  紀貫之の一行、海路、土佐国から川尻に入り安堵する(『土佐日記』2月6日条)。
長和5年(1016) 和泉式部が平井保昌と三度目の結婚をして宝塚市平井に居住。
  和歌に「猪名のふし原」「猪名の笹原」「猪名の篠原」「猪名の柴山」「猪名の端山」など詠まれる(『拾遺集』他)
  『枕草子』の「ゆずりはのみね」の記述は、宝塚市内の地名に残る「ゆずりは」という説あり。
  『源氏物語』(「玉鬘」の巻)海賊と追手を恐れる玉鬘一行、川尻に近づき安堵。
  『遊女記』(大江匡房)に神崎・江口の遊女たちの生態が記される。
  後白河院、有馬御幸。供奉の近臣、源資賢が湯の明神(式内温泉神社)に和歌を奉納。
承安2年(1172) 広田神社で歌合が催される。(道因勧進、題「社頭雪」「海上眺望」「述懐」の各29番、判者藤原俊成)。
  鴨長明の和歌の師、俊恵法師、有馬で和歌を詠む(『林葉集』)。
  鴨長明、昆陽に宿泊し和歌を書き遺す(『鴨長明集』)。
  『百人一首』の「有馬山ゐなの笹原 風ふけば いで そよ人を忘れやはする」の作者、大弐三位(だいにのさんみ)は紫式部の一人娘。
  『平家物語』に「昆陽」「布引」「大物浦」などの地名が見える。
平安遷都(794)
甲山大師・神呪寺開基・建立(831)
清荒神・清澄寺開基(893)・建立(896)
昆陽野遷都論が出る(887)
平将門の乱(939)
清和源氏の武士団が多田を本拠とする(968)
源満仲が多田院(現・多田神社)を建立(970)
花山天皇による巡礼街道本格的創始(988)
西国巡礼街道をひらいた花山天皇、三田に葬られる(1008)
前九年・後三年の役(1051〜1062・1083〜1087)
王朝歌人・和泉式部、伊丹に葬られたとされる
藤原邦綱の寺江亭(川尻)がサロンとなる
再度、昆陽野遷都論が出る(1180)
平家の福原遷都(1180)
鎌倉開幕(1192)
中世
  慈円、藤原定家、「猪名の笹原」「有馬山」などを詠む(『拾玉集』『拾遺愚草員外』)。
元久2年(1205) 藤原定家、有馬へ湯治に赴く。
建暦2年(1212) 伏見天皇に仕える女房、中務内侍、尼崎へ旅をし、その光景を書き留める(『中務内侍日記』)。
弘安9年(1286) 尼崎で布教していた一遍上人と土御門入道源通成との間に和歌の贈答(『一遍聖絵』巻9)。
  頓阿、有馬の湯で「社頭杉」を詠む(『草庵集』)。
  『大平記』に尼崎・西宮・芦屋などでの合戦が記される。
能『藤栄』『雲林院』『鵺』『船弁慶』『満仲』で芦屋、大物、多田の地が舞台に。また西宮神社や蛭子神信仰にもとづく狂言『釣女』『蛭子大黒殿』が作られる。
享徳元年(1452) 正徹、湯山(有馬)へ赴き、湯山鎮守社へ法楽和歌を奉納する(『草根集』)。
文明14年(1482) 宗伊・宗祇、湯山で連歌を詠む(湯山両吟)後、延徳3年(1491)、宗祇・肖柏・宗長も同地で連歌を詠む(湯山三吟)。
元寇(1274・1281)
時宗の開祖踊り念仏の一遍上人が兵庫の真光寺に葬られる(1289)
建武の中興(1333)
塚口御坊(現・正玄寺)が開創される(1400)
法華宗の研究教育機関である勧学院(後の興隆学林)が尼崎・本興寺に設けられる(1454)
蓮如上人が名塩御坊(現・教行寺)を開く(1475)
大坂に本願寺(1496)、小浜に環濠都市が成立
西宮神社・大練塀(日本三大練塀の中で最古)
摂津越水城・伊丹有岡城(城下町のルーツといわれる)築城(1574)。フロイス賞賛。
園芸の中心地、山本で接木が発明される
荒木村重の一族、織田信長に滅ぼされる(1578)
大坂築城(1583)
朝鮮出兵(1592〜1593・1597〜1598)
西宮神社に仕える傀儡師(人形遣)が、えびす信仰を広める
坂上頼泰が木接太夫の称号を授かる(1593)
俳諧の祖とされる山崎宗鑑が尼崎に隠棲したと伝えられる
近世
万治4年(1661) 元禄期の伊丹文化を代表する上島鬼貫生誕。
延宝2年(1674) 池田宗旦、伊丹で俳諧学校「也雲軒」を創始。
  上島鬼貫らを中心に伊丹風俳諧が繁栄してゆく。
貞享4年(1687) 尼崎出身の国学の祖、契沖が万葉集の注釈書『万葉代匠記』を成稿。
元禄元年(1688) 松尾芭蕉が『万葉集』で詠まれている伝説地の処女塚に立ち寄る。
  井原西鶴が伊丹諸白・酒造家を作中に描く(『西鶴織留』他)。
元禄6年(1693) 近松門左衛門の『仏母摩耶山開眼帳』(歌舞伎)が上演される。
元禄末年(1704) 契沖の門下である野田忠粛が『万葉語句類句』を編む。
  今津出身の儒学者、加藤艮斎が『一昔話』を著す。
  西鶴が也雲軒を訪れる(西鶴13回忌追善集『心葉』・青人の文より)。
宝永6年(1709) 近松門左衛門の浄瑠璃作品『五十年忌歌念仏』・『心中天網島』に、尼崎・伊丹の地が扱われる。
享保7年(1722) 近松門左衛門『関八州繋馬』に源満仲の館が登場
  『義経千本桜』(浄瑠璃)『ひらかな盛衰記』(浄瑠璃)『一谷嫩軍記』(浄瑠璃)『絵本太功記』(浄瑠璃)『雁のたより』(歌舞伎)等が阪神間を舞台に登場
文化5年(1808) 上田秋成『春雨物語』の「宮木が塚」には、女郎塚(遊女塚)やゆり上げの橋(現・神崎橋)、伊丹昆陽の里の長者が出ている。
伊丹で清酒がうまれる(1600)
江戸開幕(1603)
尼崎・寺町がつくられる(1617)
九鬼氏が三田に入封(1633)
池田宗旦が伊丹に住みつき俳諧学校「也雲軒」を創始(1674)
西宮出身の嵐三右衛門、大阪歌舞伎の祖となる
赤穂事件(1702)、のちに忠臣蔵とよばれる
浄瑠璃作者の近松門左衛門、没す。尼崎・広済寺に葬られる(1724)
伊丹出身の俳人・上島鬼貫没す(1738)
飯田桂山が今津に学問塾・大観楼を開く(1755)
上田秋成が加島に住む
木喰上人が東光寺で仏像を造像(1807)
高田屋嘉兵衛がカムチャッカに渡る
今津に灯台(現存する日本最古の灯台(1810))
頼山陽が伊丹に来遊
「宮水」発見
川本幸民が日本初のビールを製造(1853)
ペリー来航(1853)
日本初の新聞を発行したジョセフ・ヒコがアメリカから帰国(1859)
川本幸民が『化学新書』を出版、化学という言葉をはじめて使った(1860)
名塩に蘭学塾(1862)、三田に英語塾が開かれる(1866)
近現代
 
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近現代
明治30年(1897) 「ホトトギス」創刊。正岡子規、高濱虚子等によって培われ、100年以上休むことなく刊行され続けてきた。
明治43年(1910) 森鴎外『生田川』に芦屋処女がその母と共に登場する。
大正2年(1913) 岩野泡鳴『ぼんち』に宝塚までの通過点として池田・花屋敷・清荒神が登場する。
  上司小剣『天満宮』『父の婚礼』は、父が多田神社宮司をしていたころの影響を受けている。
大正6年(1917) 泉鏡花『峰茶屋心中』で摩耶山が舞台となる。
大正7年(1918) 雑誌『歌劇』創刊。
大正9年(1920) 徳田秋声『蒼白い月』に当時の芦屋の雰囲気が描かれる。
大正13年(1924) 木下利玄『一路』に六甲越えを詠む。
大正14年(1925) 水上龍太郎『大阪の宿』では御影の酒蔵と海の匂いが当時の雰囲気を伝える。
大正15年(1926) 金子光晴『水の流浪』に当時の西宮港が詠まれる。
昭和2年(1927) 谷崎潤一郎『日本に於けるクリツプン事件』で六甲山に死体が遺棄される。
  九条武子『六甲山上の夏』に六甲山のモダンな風景が描かれる。
昭和3年(1928) 谷崎潤一郎『卍』では香櫨園が舞台となる。
  小出楢重が『芦屋風景』をはじめとして阪神間の風景や暮らしぶりを描く。
  生田春月『影は夢見る―死と恋を、女を春を―』に芦屋の風景が描かれる。
  谷崎潤一郎『蓼喰ふ蟲』の連載始まる。阪急豊中とあるが、岡本辺りが舞台。小出楢重の挿絵で有名。
昭和4年(1929) 北尾鐐乃助『阪神風景漫歩』に阪神間の風景と雰囲気が描かれる。
  富田砕花『阪神沿線』に当時の阪神間の豊かでハイカラな暮らしぶりとそのモダンな風景が紹介される。
昭和6年(1931) 梶井基次郎『交尾』が伊丹で書かれる。
  合作、江戸川乱歩『江川蘭子』の作者の一人、横溝正史が妖艶な女性「蘭子」を阪神間の育ちとして設定する。
  中村憲吉『軽雷集』に西宮市の方鉾池(かたほこ)辺りが詠まれる。
  森田たま『夙川雑筆』・『故郷の味』に西宮を中心に当時の阪神間の様子や、暮らしぶり、価値観等が紹介される。
昭和8年(1933) 宇野浩二『枯木のある風景』に芦屋辺りが描かれる。
  与謝野晶子『沙上』に阪神間の風景が多く詠まれる。
昭和9年(1934) 丸尾長顕『芦屋夫人』に当時の芦屋のイメージが描かれる。
昭和10年(1935) 衣卷章三『黄昏学校』に当時の女学校の雰囲気を含めた阪神間の雰囲気が描かれる。
昭和11年(1936) 与謝野晶子『霧閣雲窓章』に芦屋から苦楽園を抜け、六甲山の風景が詠まれる。
  谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のをんな』は、芦屋から阪急六甲が舞台。
昭和12年(1937) 木下利玄『住吉日記』に、大正6年12月から住んだ住吉村から六甲・大阪等の当時の様子が描かれる。
昭和13年(1938) 中河与一『天の夕顔』に熊内町に住む女性への思慕が描かれる。
  上司小剣『石合戦』に川を挟んで西多田と多田院村の童らが石を投げ合うシーンが描かれる。
昭和16年(1941) 藤沢恒夫『新雪』(朝日新聞に昭和16年12月から翌年4月まで連載)に六甲を舞台に当時の女性の恋愛観が描かれる。
昭和17年(1942) 竹友藻風『鶴鴒』に武庫川の風景が描かれる。
昭和18年(1943) 谷崎潤一郎『細雪』の連載が始まる。芦屋が舞台。三回で発禁。
昭和21年(1946 織田作之助『六白金星』に当時の公衆電話・芦屋の病院・ダットサン等が描かれる。
  織田作之助『郷愁』に、阪急清荒神の駅構内のベンチに腰掛け、大阪行きのプラットホームで電車を待ち、大阪中央郵便局へ速達で原稿を出しに行き、戻るまでの出来事が描かれている。
  稲垣足穂『星は北にたんだく夜の記』にハイカラな関西学院とその周辺の上筒井辺りが描かれる。
昭和22年(1947) 田宮虎彦『江上の一族』に西宮やその周辺の酒蔵が描かれる。
  文芸同人誌『VIKING』が神戸で発刊された。創刊同人は富士正晴・井口浩・伊東幹治・島尾敏雄・林富士馬ら。
昭和23年(1948) 山口誓子が『天狼』創刊。伝統俳句の戦後勃興に寄与した。
昭和24年(1949) 由紀しげ子『本の話』ではミモザの咲いている関西学院の裏山が作品の雰囲気を決めている。
  井上靖『猟銃』は、女性語りとカタカナの多いハイカラさといい、当時の阪神間の雰囲気を伝えている。
  井上靖『闘牛』は阪神球場が舞台である(モデルは西宮球場)。
昭和25年(1950) 久坂葉子『灰色の記憶』に阪神間の女の子のハイカラな生活が書かれる。
昭和27年(1952) 井上靖『貧血と花と爆弾』に西宮球場を音楽会の会場に使用し、民間放送の開始の記念とする催しが描かれる。
  大岡昇平『酸素』は戦後の阪神間が背景となっている。
  井上靖『春の嵐』に西宮で育った女の語り調で、戦後直後の大阪近辺が描かれる。
  『ドミノのお告げ』で芥川賞候補となった久坂葉子が12月31日、阪急六甲駅で三宮発特急電車に飛び込み自殺。
昭和28年(1953) 庄野潤三『流木』に関西学院の学生の恋愛と就職の時が描かれる。
昭和29年(1954) 井上靖『あした来る人』に香櫨園在住の実業家が主役として登場する。
昭和30年(1955) 『黄色い人』に戦時中の阪神間や阪神大水害が描かれる。
昭和31年(1956) 富士正晴『贋・久坂葉子伝』に、阪急六甲駅で自殺した久坂葉子の思い出が書かれる。
  井上靖『射程』に戦争直後の大阪近辺と芦屋、及び芦屋川が対照的に描かれ、当時の状況が克明に書かれる。
  井上靖『弧猿』に宝塚の邸宅(橋本関雪邸がモデル)が登場する。
昭和33年(1958) 田宮虎彦『神戸 我が幼き日の・・・・』に西灘の味泥辺りや酒蔵の雰囲気が描かれている。
昭和34年(1959) 佐藤愛子『愛子』に当時の阪神間のモダンな嗜好が描かれる。
  武田繁太郎『芦屋夫人』に戦後の芦屋夫人のイメージが描かれている。
昭和36年(1961) 山崎豊子『女の勲章』に大阪・船場の女性が戦後の阪神間で生き抜く様が描かれている。
  今東光『悪太郎』に当時の学生と関西学院の様子が書かれている。
昭和39年(1964) 山崎豊子『花紋』に大阪近郊という設定の下に御影の大地主御寮様が登場する。
昭和41年(1966) 野間宏『青年の環』に当時の西宮の雰囲気が描かれる。
昭和43年(1968) 松本清張『内海の輪』に有馬や蓬莱峡が登場し、そのロケーションを利用した殺人が描かれる。
  水上勉『櫻守』の桜博士は、宝塚・武田尾で「桜の園」を育てた笹部新太郎がモデル。
  野坂昭如『火垂るの墓』は戦争中の阪神間が背景となる。(ユネスコが日本文学代表作品翻訳シリーズとして仏語訳で出版(2006)。)
  陳舜臣『六甲山心中』は六甲渦森山の風景が背景となる。
  小松左京『くだんのはは』は、西宮市、甲山近辺に伝わる牛女の伝承を取材して書いた小説。
昭和44年(1969) 司馬遼太郎『世に棲む日々』に西宮が登場。
昭和48年(1973) 山崎豊子『華麗なる一族』に阪神間の財界を舞台にその家庭の様子や親子の関係などが興味深く描かれている。
  遠藤周作『口笛をふく時』は阪神間と当時の学生の様子がうかがえる。
  かんべむさし『決戦・日本シリーズ』は、阪神と阪急が日本シリーズで夢の対決。勝ったほうの電車が負けたほうの路線を凱旋パレードで走る。
昭和50年(1975) 黒岩重吾『女の樹林』に芦屋で育った二人の姉妹の生きざまが描かれる。
昭和53年(1978) 宮本輝『青が散る』の連載始まる。阪神間とそこで生きる若者が作品を構成。
昭和54年(1979) 司馬遼太郎『菜の花の沖』に役人・西宮港の様子等、江戸時代の西宮近辺の様子が描かれている。
  村上春樹『風の歌を聴け』の舞台は阪神間である。
昭和56年(1981) 栗山良八郎『宝塚海軍航空隊』に宝塚大劇場が海軍に接収された時代が描かれている。
昭和57年(1982) 宮本輝『春の夢』の連載始まる、武庫之荘辺りが登場する。
  宮本輝『錦繍』は、女語りとともに阪神間のハイカラさが作品を特徴づける。
昭和59年(1984) 宮本輝『流転の海』に戦争直後の御影が登場する。
  田辺聖子『姥ざかり』は阪神間の老女をユーモラスに描く。
  平中悠一『シーズ・レイン』が阪神間の若者の美学を描く。
  阪田寛夫『わが小林一三』が宝塚歌劇の草創期を描く。
昭和62年(1987) 村上春樹『ノルウェイの森』の主人公たちは阪神間に生まれ育ち、その文化の影響を受けている。
  中山正子の『ハイカラに、92歳〜写真家中山岩太と生きて』は、写真家中山岩太の妻であり、自らも教育者であった正子の自叙伝。
昭和63年(1988) 玉岡かおる『夢食い魚のブルー・グットバイ』は関西学院のキャンパスがモデルになっている。
平成元年(1989) 遠藤周作『反逆』に伊丹や尼崎が登場する。
平成4年(1992) 村上春樹『国境の南、太陽の西』に阪神間の戦後の特徴が記されている。
平成7年(1995) 小松左京『大震災』は阪神間を襲った「震災」を総合的に分析する。
  阪神間を舞台にした小説を発表して注目されているキョウコ・モリ、のニューヨークタイムス「ベストブック賞」を受賞した小説『シズコズ ドーター』が逆輸入され関心を集めた。
平成13年(2001) 北村薫『リセット』に芦屋の寝室で米英との戦争を回想するシーンが描かれている。
平成16年(2004) 玉置通夫の『甲子園球場物語』は、高校野球の聖地となった甲子園球場の80年にわたる歴史をつづった。同球場でおこなわれた歌舞伎公演のエピソードなども。
平成17年(2005) 直野祥子『夙川ひだまり日記』は、阪神大震災で愛した街と家が崩壊し、記憶のなかにだけ生き残った、昭和30年代の六甲山が見える阪急沿線の暮らしを描き出した絵日記。
平成18年(2006) 清水博子『vanity』は、阪神間を舞台にした、東京の外資系OL画子と神戸六甲マダムとの、エレガントでシビアな闘いの物語。
  小川洋子『ミーナの行進』は、1970年代初頭の芦屋の、どこか不思議な光と影が差すお屋敷でくり広げられる、2人の少女と家族の物語。(第42回谷崎潤一郎賞受賞)
明治維新(1868)
日本初のビールを醸造した三田藩士出身の川本幸民が死去(1872)
大阪・神戸間に鉄道(現JR)開通(1874)
幕末期の伊丹俳壇におけるリーダー格の曲阜が死去(1874)
三田の子女の教育機関から発展した神戸ホーム(後の神戸女学院)開校(1875)
今津に六角堂が建つ(1882)
日本初のサイダーが川西で製造される(1884)
辰馬喜十郎邸(日本人の手による日本初の洋館)完成(1888)
大日本帝国憲法公布(1889)
日清戦争開戦(1894〜1895)
六甲の植林はじまる。パリ万博に植木の「YAMAMOTO」出品(1900)
六甲に日本初のゴルフコースが開場(1901)
伊丹で曽我廼家劇(のちの松竹新喜劇)が旗上げする(1903)
日露戦争開戦(1904〜1905)
阪神電気鉄道大阪・神戸間開通(1905)
有馬箕面電気軌道(現・阪急電鉄)設立(1907)
大谷光瑞が仏教殿堂・二楽荘を建設(1908)
薄田泣菫が西宮に定住(1910)
武田尾に「桜の園」(1912)
宝塚に少女歌劇団設立(1914)
第一次世界大戦(1914〜1918)
ロシア革命(1917)
シベリア出兵(1918〜1922)
『キネマ旬報』が香櫨園で編集される(1923)
甲子園球場が建つ(1924)
孫文、神戸で講演(1924)
宝塚交響楽協会(宝塚交響楽団の前身)が初公演(1924)
深江にロシア人を中心とする音楽家村ができる(1924〜1932)
4000人収容の宝塚大歌劇場竣工(1924)
普通選挙法・治安維持法公布(1925)
宝塚国民座が発足(1926)
宝塚ホテル開場(1926)
日本初のレビュー『モン・パリ』上演(1927)
このころ、阪神地域の現在の鉄道網がほぼ出来る
苦楽園の下村海南邸がサロンとなる
関東大震災を機に谷崎潤一郎が阪神間に移住
芦屋や甲陽園に映画スタジオ開設(佐藤紅緑らが活躍)
日本初のトロリーバスが川西で開業(1928)
宝塚に東洋一の規模を誇るダンスホールができる(1930)
芦屋カメラ倶楽部結成(1930)
甲子園ホテル開場、関西の社交場となる(1930)
テイチクが花屋敷に事務所兼吹込所を設け、操業(1931)
満州事変(1931)
本邦初のファッション誌『ファッション』が打出で創刊(1932)
五・一五事件(1932)
手塚治虫が宝塚に転居(1933)
白鶴美術館開館(1934)
作曲家の貴志康一、帰国後、宝塚交響楽団でデビュー(1935)
阪神タイガース設立(1935)
二・二六事件(1936)
日中戦争始まる(1937)
阪急西宮球場開場(1937)
芦屋に田中千代が衣服研究所を設立(1937)
阪神大水害(1938)(『細雪』『黄色い人』に描かれる)
第二次世界大戦開戦(1939)
伊丹飛行場(現・大阪国際空港)が開場(1939)
日本、米英と開戦(1941)
終戦(1945)
歌舞伎界を代表する女形、中村梅玉(三世)が芦屋の自宅で没す。遠藤周作の初戯曲『サウロ』が小林聖心女子学院で上演される(1948)
宝塚文芸図書館を移した阪急学園・池田文庫が開設(1949)
西宮に日芸会館が開場。劇団民芸が「かもめ」(チェーホフ)で旗挙げする。宝塚新芸座が発足(1950)
宝塚映画製作所オープン(1951)
芦屋市が国際文化住宅都市に(1951)
サンフランシスコ講和会議(1951)
芦屋を本拠に具体美術協会結成(1954)
川西で源氏まつりの時代行列はじまる(1955)
国際連合加盟(1956)
西宮ヨットハーバー開設(1956)
藤本義一が宝塚映画などで活躍
劇作家の食満南北が死去(1957)
日米安保条約改定、岸内閣退陣(1960)
ベトナム戦争(1960〜1975)
西宮市が文教都市住宅宣言(1963)
黒澤明や小津安二郎が宝塚映画で活動する
東京五輪(1964)
滴翠美術館が開館(1964)
狂言師で初の人間国宝、善竹弥五郎が神戸で死去(1965)
学生紛争
大阪万博(1970)
西宮市神呪寺の俳人塚で供養祭がはじまる(1970)
西宮市大谷記念美術館開館(1972)
オイルショック(1973)
香雪美術館開館(1973)
近松記念館開館(1975)
富岡鉄斎の作品を広く展示するため鉄斎美術館が清荒神清澄寺内に開館(1975)
俳人山口誓子、苦楽園に定住(1978)
宝塚で童話コンクールが始まる(1982)
建築家の村野藤吾が死去(1984)
『細雪』の舞台となった倚松庵が公開(1984)
伊丹に柿衞文庫が開館(1984)
西宮市が湯川(秀樹)記念物理学賞を制定(1986)
尼崎市が『近松ナウ』事業を始める(1986)
「百人一句」が制定される(1987)
西宮に万葉公園オープン(1988)
小田実氏が第三世界最高の文学賞のロータス賞を受賞(1988)
芦屋市に谷崎潤一郎記念館開館(1988)
アイホールで創作劇の上演が始まる(1988)
演出家・映画監督の武智鉄二氏死去(1988)
園田学園が近松研究所を開設(1989)
芦屋市に俵美術館が開館し、矢立などを展示(1989)
漫画家手塚治虫死去(1989)
近松作品のオペラ化(アルカイックホール、つかしんホール)
芦屋市が富田砕花賞を創設(1990)
神戸女学院に「シェークスピアの庭」開園(1990)
司馬遼太郎『街道をゆく』の挿絵を書いた画家・須田剋太死去(1990)
俳人の阿波野青畝死去(1992)
宝塚市に手塚治虫記念館オープン(1994)
県立ピッコロ劇団旗揚げ(1994)
源氏物語の語りべといわれた村山リウが芦屋で死去(1994)
阪神・淡路大震災(1995)
華道小原流家元・小原豊雲死去、フランス哲学を紹介した沢潟久敬死去、グラフィックデザイナーの菅井汲死去(1995)
平家物語を伝えた琵琶法師を顕彰する「覚一忌」が尼崎・大覚寺で始まる(1996)
アイホール(伊丹市)で実践戯曲講座「伊丹想流私塾」(1996)
芦屋の女人舞楽が海外公演
フランスのガリマール書店が谷崎潤一郎の全集を刊行
鬼貫の俳句、フランス歌曲として里帰り公演
阪神芸術祭始まる(1999)
虚子記念文学館が開館、宝塚映画祭始まる(2000)
尼崎市が近松の功績を顕彰するとともに、次代の演劇界を担う優れた劇作家の育成を目的とした近松賞(正式名 近松門左衛門賞)を創設(2000)
西宮神社で海上船渡御が400年ぶりに復活(2000)
神戸大学内に山口誓子記念館オープン(2001)
「ネットミュージアム兵庫文学館」開設(2002)
「兵庫県立芸術文化センター」開館(2005)
阪神電気鉄道株式会社と阪急ホールディングスが経営統合(2006)
かつて”女の園”タカラヅカに「男子部」があった。そこで懸命に頑張った男たちの青春グラフティ描いた『宝塚BOYS』が、兵庫県立芸術文化センターで上演される(2007)

  監修  河内 厚郎
  協力  武庫川女子大学文学部日本文学科
    大阪女学院大学特任講師 槌賀 七代
  編集  阪神南文化振興団体連絡協議会・阪神北文化振興団体連絡協議会
  連絡先  〒660-8588 尼崎市東難波町5-21-8
 TEL06-6481-7693(阪神南県民局企画調整部)

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